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【News】 世の中が急速に右に傾いている by 北海道新聞 [その他News]

何を変え 何を守るか*1*「国とは」を問い直すとき(1月1日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20070101&j=0032&k=200701016460
 世の中が急速に右に傾いている。  

 かつて保守的だと批判された評論家が、今は「左寄りだ」と糾弾される。 書店には中国や韓国を敵視して排外的な機運をあおったり、国家を礼賛したりする書物が並ぶ。  

 しばらく前には常識と思われた自由、平和、人権という価値は疑わしいもののように扱われている。若い世代にもこの傾向は広がる。


 そんな時代に「美しい国」「戦後体制からの脱却」を唱える安倍晋三首相が登場し、保守派の念願だった教育基本法改正、防衛庁の省昇格を実現した。政界には次は憲法改正という空気がみなぎる。

 冷戦が終結し世界は激変した。経済のグローバル化は国境をあいまいにした。テロへの恐怖も広がる。人びとは経験したことがない競争にさらされ、不安を募らせている。

 誰もが安心して暮らしたいと願う。しかし、それは首相の唱えるように国家意識を築き直せばもたらされるのだろうか。

 社会が右に傾く今、「国とは何か」を冷静に考える必要がある。

*若者はなぜ右に傾くのか

 昨年八月十五日、小泉純一郎前首相が靖国神社を参拝した。その直後にNHKが番組で実施したアンケートが、若者の意識を映し出した。

 五十歳代と六十歳以上では賛否が拮抗(きっこう)し、二十-三十歳代では賛成が72%に上った。事前の各種調査では反対が賛成よりやや多かったが、首相の参拝映像が流れて支持が逆転し、中でも若い層が突出した。

 格差を生んだ小泉改革の被害者の若者が前首相を熱狂的に支持した。

 保守思想に詳しい北大公共政策大学院の中島岳志助教授は、黒人の抵抗から生まれ、いま若者たちに人気の音楽ヒップホップを例に、右に傾く若者の精神構造を説明する。

 日本のヒップホップの特徴は一部でナショナリズム肯定がうたわれていることだ。ここにはかつてのヒッピーに通じる意識があるという。

 ヒッピーは近代文明を拒み精神的価値を求めた。今も若者は体制に反発し、精神的なものを求めている。

 が、それを受け止める文化がヒッピーを生んだ左の側になく、民族や伝統など精神の尊重を唱えるナショナリズムに接近しているという。

 「右」の考えに違和感がない若者に、前首相の靖国参拝は常識に挑んだ象徴と映ったのではないか。

*それぞれで異なる郷土愛

 政権運営がまずいために安倍内閣の支持率は低下している。しかし、首相の保守的な国家観は、不安を強める社会に受け入れられやすい。

 首相は、著書「美しい国へ」で、生まれ育った国を自然に愛する気持ちをもつべきだと説き、国に対する帰属意識は郷土愛の延長線上に育つと強調している。伝統、文化、歴史の尊重が重要だとも言う。

 郷土を愛する気持ちは多くの人が自然にもっている。しかし、その感情は「国を愛すること」に一足飛びに結びつくものなのだろうか。

 「国」という言葉は幅広い。「お国なまり」は郷土を指す。近代的な国家という考え方なら明治以降に形作られた。国についてはさまざまなとらえ方があり、考え方がある。

 言えるのは、歴史と文化を同じくすることが国の条件だとは決め付けられないということだ。

 日本には沖縄の人びとやアイヌ民族、在日韓国、朝鮮人がそれぞれの歴史や文化をもって住んでいる。一つ一つの地域ですらそれは違う。郷土愛もそれぞれであり、多様な存在を含めて国があると言える。

 改正教育基本法は「伝統と文化の尊重」と、それをはぐくんだ「我が国と郷土を愛する」ことを教育目標に掲げる。伝統・文化を国が認定し国を愛せと教えることは、異なる考え方の排除につながりかねない。

 これは杞憂(きゆう)だとは言えない。靖国参拝に反対した自民党の加藤紘一氏の実家が放火され、昭和天皇発言を伝えた新聞社に火炎瓶が投げつけられた。が、当時の小泉首相、安倍官房長官には言論を脅かすテロを積極的に非難する姿勢はなかった。

*憲法をめぐる重要な岐路

 国とは何かを考えることは憲法を考えることだ。安倍首相は在任中の憲法改正を明言している。次の国会で改正のための国民投票法成立をめざす。改憲の動きは加速する。

 自民党が一昨年まとめた憲法草案は、戦争放棄を定めた九条改正と並んで国をめぐる記述が焦点だ。

 草案前文は「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る」ことが国民の責務と記す。

 権利と義務の項では「自由と権利には責任及び義務が伴う」とし、「公益及び公の秩序に反しないよう自由を享受し、権利を行使する」ことも国民の責務だとしている。

 近代立憲主義で憲法は、歴史的にみて独断専行に陥りやすい国家に、守らなければならない人権の尊重や、してはならないことを規定し命じるものだと理解されている。

 自民党草案は現行憲法が基づくこの理念を退け、国が国民に責務を課して秩序を回復しようとしている。

 これでは、国の方針以外は認めない窮屈な日本にならないか。めざすべきは多様な考えの人びとが共に生きる国だろう。今が重要な岐路である。世代を超えて「国とは何か」を考えたい。(5回掲載します)

「自由、平和、人権という価値は疑わしいもの」になっているとは良く分かっているじゃあないですか。正確にいうと、自由平和人権を声高に叫ぶ人たちの言動は、矛盾や嘘が大量にあるので、信用されなくなってきているのですがね。

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ダスキン・ホフマン

お初にお邪魔します。

>これでは、国の方針以外は認めない窮屈な日本にならないか。めざすべきは多様な考えの人びとが共に生きる国だろう。今が重要な岐路である。世代を超えて「国とは何か」を考えたい。

私は、今回の教育基本法の改正などで、国の方針以外を認めない国になるとは考えていません。
それより、行きすぎた個人偏重、自由と勝手をはき違えた野放図な「自由主義」を考え直す好機と思っています。

教育基本法改正を、論理飛躍させて軍国主義に結びつける左翼勢力は、成人式で非常識な行為をしたり、電車の中でへたり込んだりしている非常識極まりない若者をどうするかには、ただ改正に反対するばかりで、何ら解決策を与えていません。
教育基本法改正が支持されたのは、いつまでもこのような若者を増産して
はいけないという多くの気持ちの表れです。

さらに貴殿がおっしゃるように、改正反対が大きな広がりにならなかったのは、
>自由平和人権を声高に叫ぶ人たちの言動は、矛盾や嘘が大量にあるので、信用されなくなってきているのですがね

仰るとおりだと思います。
by ダスキン・ホフマン (2007-01-02 07:13) 

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