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【News】(@∀@-)靖国参拝反対! [靖国関係News]

戦犯合祀―政府の主導だったのか
http://www.asahi.com/paper/editorial20070330.html#syasetu1

 靖国神社が戦後、戦犯を合祀(ごうし)した経緯について、国立国会図書館が新たに発掘した資料が公表された。

 かつて神社を管理していた旧陸海軍から業務を引き継いだ旧厚生省が、つまり政府が深く関与していた実態が浮かび上がった。

 靖国神社の内部文書によると、こんな経緯があった。

 サンフランシスコ講和条約で独立を回復してから6年後の58年4月、厚生省引揚援護局と靖国神社が社務所で会合を開いた。厚生省の担当者がBC級戦犯についてこう提案している。

 「個別審議して差支(さしつか)えない程度でしかも目立たないよう合祀に入れては如何(いかん)。神社側として研究して欲しい」

 この年9月の会合では、東条英機元首相らA級戦犯も議論になった。この時、厚生省は「先(ま)づ外地刑死者(BC級戦犯)の合祀を目立たない範囲で諒承(りょうしょう)して欲しい」と求めている。

 厚生省と靖国神社はこうした会合を頻繁に開き、翌59年にまずBC級戦犯の合祀に踏み切った。69年の会合ではA級戦犯について「合祀可」と決めた。

 印象的なのは、できるだけ外部に目立たない形で進めようと腐心していたことだ。とくに、戦争指導の責任を問われたA級戦犯については「外部発表は避ける」ことまで申し合わせていた。

 そうした人々を顕彰することは戦争を肯定し、責任をあいまいにするとの批判を恐れたのだろう。

 政府はこれまで「靖国神社がA級戦犯を合祀した理由や経緯については承知していない」としてきた。昨日、安倍首相は「旧厚生省は情報を求められ、提供したということではないか」と述べ、あくまで合祀を決めたのは神社側の判断だとの立場を強調した。

 だが、新資料には厚生省が神社と一体になって進めた様子が具体的に跡づけられている。合祀したのは神社かもしれないが、その決定には政府の意向が色濃く反映されていたのは間違いない。

 戦後かなりの年月がたっていたのに、戦前の「国営神社」時代のような関係を引きずっていた。憲法の政教分離の原則に照らして、許されることではない。

 小泉前首相が繰り返した靖国参拝に、私たちは反対してきた。政教分離の原則に反する恐れがあるというのも一つの理由だった。当時のような政府と神社の関係が今も続くとは思わないが、そんな過去があっただけになおさら、政府は一線を画す姿勢を明確にする必要がある。

 私たちは、特定の宗教色のない国立の追悼施設をつくるべきだと主張してきた。そこでは天皇や首相をふくめ、だれもがわだかまりなく戦争の犠牲者を悼むことができる。改めてそうした施設の必要性を痛感する。

 公表された資料は貴重なものだが、A級戦犯が実際に合祀された78年の前後の記録が欠けているのは残念だ。これらの資料の公表を求めたい。

母国の首相が来日するので、プロパガンダにも熱が入っているようです。

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①教科書カード ②「靖国」カード ③閣僚「妄言」カード ④「従軍」慰安婦カード

http://www.youtube.com/watch?v=FG3j8NHen2g

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