【News】中国に何を言われてもムカついたらだめ by 中日新聞 [中国関係News]
「区別論」の心
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「いつ行っても同じだ」。開き直りと意地にしか見えなかった。終戦の日の靖国神社参拝。6年越しの公約を果たしたからだろう、小泉首相の舌はいつになく滑らかで、無論この言葉も忘れなかった。「心の問題でしょう」
34年前の1972年9月、日中の国交正常化交渉のため田中角栄首相が北京を訪れた。巨額の戦時賠償を求められるのではないか。それが一番の気がかりだった。
周恩来首相は言った。「賠償というのは結局、何十年にもわたって人民に支払わせることになる。日本人民にこの苦しみを負わせるのは忍びない。従って賠償は1銭もいただきません」。この一言で国交回復の扉は開かれた。
周恩来の決断には「戦争の責任は一握りの軍国主義者にある。日本人民に罪はない。中国人民と同じ被害者だ」という考えが貫かれていた。国家指導者と民衆をはっきり分ける「区別論」だ。日本軍に家族を奪われた多くの中国国民も区別論で説得し、怨(うら)みをこらえさせたのだった。
区別論は今も生きている。靖国参拝への批判の矛先が、「一握りの軍国主義者」であるA級戦犯の合祀(ごうし)と、「一握りの国家指導者」である首相らの参拝に限られているのが何よりの証しだろう。
たとえ区別論にほかの戦略的意味が込められていたとしても、あの戦争で強いられた犠牲の大きさを考えるとき、そこに中国の人々の抑制された、広い心を思わずにはいられない。民衆同士の反目だけは避けたいという配慮を感じずにはいられない。
戦没者にささげる小泉首相の哀悼の気持ちにウソはあるまい。だが、批判にひたすら「心の問題」と答えるのであれば、中国の人々の「心の問題」はどう受けとめるのか。広い心には広い心で報いるべきではないのか。
靖国神社では当日、首相に日の丸を振り、「中国や韓国はムカつく」と感情をむき出しにする若者が目立ったという。こうした姿が、両国の人々のこらえてきた怨みに火をつける恐れは十分ある。首相の「有終の美」は、あってはならぬ「民衆同士の反目」をもたらすかもしれない。
(名古屋本社編集局長・加藤 幹敏)
・・・中国の人々には広い心があることがなぜか前提になっていますが、最近の反日デモはどう説明するのでしょうか。やはり日本が悪いんでしょうか。
加藤幹敏さんは中国に何か幻想を見ている気がしてなりません。まあ、ネタと思って読めば面白いのですが。
関連エントリ
心の広い中国人の例↓
http://blog.so-net.ne.jp/current_affairs/2006-08-10
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