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【コピペ】竹島問題経緯 [歴史コピペ【朝鮮編】]

1952年1月18日:韓国政府は李承晩ラインを一方的に宣言。以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となる(詳しくは李承晩ラインを参照)。
1952年4月28日午後10時30分(日本時間):日本国との平和条約発効
1953年1月12日:韓国政府、「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示
1953年2月4日:第一大邦丸事件。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。
1953年4月20日:独島義勇守備隊、独島に初めて駐屯
1953年6月26日:日本側が竹島に「日本島根県隠岐郡五箇村」の標識を立て、守備隊員6人を追い出す。
1953年7月12日:竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲する。以後、日本政府の抗議にも関らず竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。
1954年9月25日:日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案。韓国政府はこれに応じず。
1954年11月30日:韓国側が竹島に近づいた日本警備艇に砲撃をくわえる。
1956年4月:韓国警察鬱陵警察署警官8名が島に常駐
1956年12月25日:独島義勇守備隊解散
1965年:日韓基本条約調印、李承晩ライン廃止。竹島問題は紛争処理事項とされる。しかしその後韓国は竹島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、交渉のテーブルすら着いていない。

☆参考図書☆

別冊宝島「奪われる日本!」

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  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2004/08/03
  • メディア: 単行本


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